年頭所感     河口 真理子

 新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 成人式の連休に、南紀白浜・高野山に行ってきました。白浜では、日本最初のエコロジストといわれる南方熊楠のスケールの大きさに感銘をうけ、高野山はマイナス5度の寒さ。雪が積もる中、宿坊に宿泊しお勤めをして精進料理を頂き、お寺を回り、弘法大師の慈悲の偉大さに触れてきました。

 新年早々、エコロジーと日本の仏教の始祖に触れられたことは大変意味深いことでした。
 3.11後私たちの意識が大きく変わってきたと言われます。寄付やボランティア活動への関心が高まり、お金儲けより人と人との信頼や絆が重要と考える人が増えてきました。寄付もボランティアも利他的行為です。その利他的行為を、イヤイヤやるのではなく、その行為自体に喜びを感じることができれば、利他的行為の輪は広がります。

 因みに、仏教で説く慈悲とは、「慈悲喜捨」の4つの利他行為をさします。慈は、いかなる障害をも越えてつながる愛情、絆。悲は、相手の悲しみを一緒にそばで悲しむ同体の心情。喜は、相手の喜びをそばでいっしょに喜ぶ心情。捨は執着や打算を捨て相手と自分との心がつながること。その中でも最上の功徳ある利他行為は随喜と呼ばれます。それは、相手の喜びを自分のことのように喜べることや、布施などして相手の幸せを自分の喜びにできることで、相手の十倍の功徳があるとされます。高野山滞在中この慈悲のオーラが山を包んでいたような気がしました。

 まさに、今私たちの心の中で、誰かの苦しみや悲しみに寄り添い、誰かが喜ぶことをわがことのように喜ぶ心情が芽生えているのを感じます。そしてその心は、SRIにもつながるものでもあります。通常の経済理論では、人は市場を通じて自己利益を最大化するように行動し、それが最適の結果をもたらす、とされています。よって、利己的に振舞っても結果として社会の厚生は上がるということが前提となっています。そして人は自分がより多くの財を得られれば得られるほど、そのひとの満足度は上がるとされ、他人のために自分の財を減じる行為(寄付でも、ボランティアでも)は、自己利益を減じることで慈善行為としては成り立っても経済合理的な行為ではないとされてきました。

 投資は、投資家の利益(リターン)を最大化することを目的とします。そこで社会的なリターンも追及するSRIは、どうしても宗教団体や社会運動家の自己実現のためのものというイメージから脱却できず、財務的なリターン最大化を目的とする投資のメインストリームにはなりえていません。責任投資原則が、2006年にESGを考えることは、パフォーマンスを良くする可能性があると宣言し、実際にESGでも優れている企業は長期的にパフォーマンスが高い、すなわち財務的なリターンでも通常の投資と遜色ない、という調査結果が増えているにもかかわらず、です。それはやはり、他人のため=自分を犠牲にする=損、という常識的な図式が多くの人々の潜在意識にあるからではないでしょうか。

 しかし、人々が慈悲、随喜の心を持つようになったとすればどうでしょうか。自分の利益にしかならない投資より、自分へのリターンと同時に、環境負荷を減らす、児童労働がなくなる、貧困の児童にワクチンが打てる、などの社会リターン期待できる投資のほうが、投資家の満足度が高くなります。逆に社会的リターンのない投資は魅力がなくなります。

 震災後、寄付つき商品が売れ、投資金額の半分が寄付にまわる被災地応援ファンドに関心が集まっています。利他の心が広がること、それはSRIを広める大きなきっかけになります。今やその絶好の機会でもあります。皆様の智慧、力を結集して、SRIを更に広めませんか。

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